『En un autre pays; anthologie de la science-fiction française ** 1960-1964』Gérard Klein編(seghers)

 1976年発行。ジェラール・クランによるフランスSFアンソロジーの第二弾(60年代前半編)。ぐっとアメリカSF風の作品が増えて面白くなりました。
 

「Préface」Gérard Klein(序文,ジェラール・クラン)

 60年代前半というのはフランスSFにとって、黄金の70年代へといたる「砂漠の横断」の時代だった――というのが編者の見方のようです。ピエール・ブールやルネ・バルジャヴェルといった50年代の大家の作品がぐっと減り、変わってアシモフブラッドベリ、ヴァン=ヴォクト、シマック、ベスター、シェクリイ、クラークといったアメリカSFに影響を受けた作家たちが登場してきました。しかし何とも皮肉なことに、フランス版『フィクション』誌の編集長だったアラン・ドレミューは、サイエンス・フィクションよりもフランスの伝統的な幻想文学の方を好んでいたそうです。そんなフランスにSFが芽吹く一つのきっかけというのが、戦争体験からの脱却だったのではないか――という編者の意見は、笠井潔のミステリ理論を連想させて興味深いところです。※ここで言う戦争とは世界大戦ではなくアルジェリア戦争のことですし、文章や論旨の内容も違うのですが。
 

「L'Habitant des étoiles」Alain Drémieux(星の住人,アラン・ドレミュー)★★★★☆
 ――ある晩、宇宙船が落ちてきた。危険だからと、大人たちは逃げ出した宇宙人を探し出して始末しようとするが――。16歳の少女Almineはそうは思わなかった。洞穴のなかで見つけた宇宙人はぴくりとも動かない。空気が悪いのか? 重力が? お腹が空いているのかもしれない。だから、魚のような丸い唇で喉を咬まれたときも、怖がらずにじっとしていた。Almineの様子を不審に思った燐家のJacquesは、秘密の恋人がいるのではないかと嫉妬して……。

 アラン・ドレミューは『青い鳥の虐殺』の編者。作家というより編者・評論家として60年代のフランスSFを牽引した一人のようです。代表作は「La Vana」。女性型の性的ヒューマノイドに謎の病気が蔓延し……云々。

 本篇はSF味は薄く、エキセントリックな思春期の少女の現実からの逃避願望を、宇宙人の住処である空の星々に憧れる、という形で描いた作品です。母親のいない父子家庭であることや、本書の結末を考え合わせると、あるいは少女は父親から性的虐待を受けていたのではないか――という可能性も邪推できますが、はっきりとはわかりません。宇宙人=敵=即殺を疑わない大人たちや、嫉妬から少女を裏切る青年や、少女の決断など、タイトルから受ける印象とは裏腹に意外とエグい人間模様が詰まっていました。

 編者によれば著者の「お気に入りのテーマ」である、吸血鬼もの、でもありました。
 

「L'Amour fou」Roland Topor(熱愛,ローラン・トポール,1960)

 「熱愛」の邦訳で『笑いの錬金術』に邦訳あり。
 

「Point de tangence」André Ruellan(接点,アンドレ・リューラン,1963)★★☆☆☆
 ――風が椅子にぶつかり、閂の後ろに死んだ子どもの涙が滑り込む。私は斧を置いてドアに合図を送った。「この針に糸を通しなさい」と声がする。もう驚かない。精神錯乱のせいだとわかっているからだ。

 別名Kurt Wargner。「幻想とSFのあいだを確信を持って行き来する稀有な作家の一人」という編者の言葉どおり、本篇も現実とも幻想とも、幻想ともSFともつかぬ一篇でした。狂気の悪夢と、外から呼びかける妄想の声――と思えたものが、精神病棟の治療であった、と判明するところまでは完全に幻想小説ですが、そこからさらにひとひねりあり、語りかけていた医師の声が実は別の星・別の世界からコンタクトを求める声だった、という事実がわかるにいたってSFへと転じます。果たしてそれは現実の声なのか、それともやはり男は狂気に襲われているのか、どちらとも決めかねるまま、物語は幕を閉じます。
 

「Journal d'une ménagère inversée」Juliette Raabe(逆廻しの主婦の日記,ジュリエット・ラーべ,1963)★★★☆☆
 ――11:57 買い物から戻った。籠が重い! 腰が痛い。 12:05 あと二階……ようやく着いた。鍵! 籠の底だ。店に戻らなくては。 11:30 レシート。カリフラワー2.5フラン、オレンジ3.2フラン。 11:11 終わった。333フランと鍵が戻ってきた。 10:47 家にいる。一日がもうすぐ終わる。 9:01 目覚ましが鳴った。夜のあいだ眠る。

 姓の読み方が不明。ドイツ風なのでひとまず「ラーベ」と読んでおきます。時間が逆回りになっている、というアイデアをもとに綴られる主婦の数日。時間軸が逆なので、初めに傷とか泥とかあるのを読むと、一瞬おぞましい感じがしてドキッとしますが、実はまるっきり取るに足らないことが原因だったりして、面白い。
 

「Point de lendemain」Jean-Paul Torok(明日はない,ジャン=ポール・トーロー,1960)★★★★☆
 ――WilnoはアンドロイドのAuroraの運転する車で、Dianaの屋敷に向かっていた。しばらく音信不通だった大学の知り合いDianaから招待を受けたのだ。Auroraは招待客の称讃の的だった。Wilnoには招待客もアンドロイドもみんな同じに見えた。Auroraに興味を持った医者にたずねられるままに、「戦前」の書物を研究していたWilnoとDianaが、初歩的な技術書の山から恋愛について書かれた本を見つけたことを話して聞かせた。昔の人々がどのような恋愛行為をしていたのかがわかったのだ……。

 編者解説には経歴もほとんどわからず作品も二篇だけ、としか書かれていませんが、ネットで確認したところでは映画関係の人物のようです。タイトルとなっている「明日はない」は、18世紀の文化人Vivant Denonによる艶笑譚ということで、本篇もどことなくエロチックです。核戦争後に刷新された「人類」が、書物をまねて恋愛及び性行為をおこなおうとする――とだけ書くとコメディみたいですが、生きることに対する不安のような感覚が漂っていて、ちょっとシリアスなところもありました。
 

「Tous les pièges de la foire」Philippe Culval(罠だらけの祭り,フィリップ・キュルヴァル,1964)★★☆☆☆
 ――火星を狙ったがはずれた。今度は月を狙って撃ち落とした。Belは射的をやめた。GardeであるBelは敵のResponsableからおびき出されて乗り込んで来たのだ。……母親が着替えをしている。老人がやって来て嘔吐した。母は私を睨み……記憶の迷路に囚われてはいけない。ポーカーでイカサマをした相手に銃を抜いた。旧友が現れたが何かがおかしい――年を取っていないのだ。Belは銃を抜いた。今度は死体が消えてしまった。

 「悪徳の惑星」の邦題で『S-Fマガジン』229号に翻訳があります。独裁者を倒すために祭りの市場に乗り込んだ刺客が、幻覚の悪夢に攻撃されながらも、市場のなか独裁者を探す話です。マトリックスとRPGを合わせたようなレトロでチープな世界観や、お決まりのように美女を救う展開に加え、独裁者の意外な正体(本人の別人格)さえも、今となってはあまりに古びてしまっています。
 

「La Rose de énervents」Daniel Drode(力風《エネルヴァン》の薔薇,ダニエル・ドロッド,1960)★★★★☆
 ――被疑者の家宅捜索に訪れたPolyceのGraner-Pol。そこで発見したメモを頼りに、ヘリに乗って空中に行くと……眩暈……やがて……目の前にはさっき殺したばかりの被疑者Teralがいた。「もう逃げられないぞ。さっき別の時空でおまえを殺して来た」「どうしてここに来られたんだ?」「メモの写しがあった」「馬鹿な!」……話を聞いたTeralは、銃を突きつけて写しを奪い取る。「お前はここに残って、原始人の神になり、神話となれ。俺はこの写しを自宅に置いてこなくてはならない……」

 遙か上空に存在するエネルギーの流れ「エネルヴァンの薔薇」。それを利用して原始時代にやって来た被疑者と、それを追って来た警官でしたが……。人は誰しもタイム・パラドックスからは逃れられないことを描いた、円環状の作品でした。

 作者のダニエル・ドロッドは、文庫クセジュ『SF文学』によれば「形式的な実験と内容とを完全に一致させることに成功している」(長篇『惑星表面』)と紹介されていました。本書の編者解説には、ロブ=グリエの名前とヌーヴォー・ロマンという言葉が用いられており、言語実験的な作風の持ち主のようです。本篇でも「est-ce que」を「estceque」と書いたり、文章の途中で改行されていたりと、その片鱗は窺えます。
 

「Chronique des rapaces」Arcadius(化鳥の歴史,アルカディウス,1963)★★★★☆
 ――核戦争後、城塞都市を築いて支配者に収まったZigur。食糧や病院を求めて侵入する難民や放射能汚染者が後を絶たないため、学者に「化鳥」を作らせた。厳しい訓練を受けたパイロットは、いつしか「化鳥」と一体になり、口笛で会話し、「爪」や「くちばし」で敵機を攻撃した。十年後。もはや侵入者はいなくなったが……。Zigurの呼びかけに応じない化鳥の様子を見に行った防人長官Siegelが目にしたものは――。

 アルカディウスは『Le grandiose avenir』に続いての登場。いかにもSFらしい楽しいSFを書く人です。支配者が化鳥を呼んでも反応がない場面で、「静寂。ただし平和のではなく、内戦を予感させる静寂だった」という表現が印象的でした。侵入者を捕らえて食べた人肉の味が忘れられなくて叛乱を起こした化鳥を、燃料タンクを破壊してエンジン切れになるのを待つという消極的な退治方法は、さまざまな作品でお馴染みのものですが、そのやりきれない喪失感が、化鳥の誕生から最期までを描くという内容と合っていました。タイトルの「rapace」は辞書によると「猛禽」とあるので、「猛禽年代記」と訳すのが正しいです。でも「猛禽」だと通称っぽくないので「化鳥」と仮訳しておきました。
 

「Le Mal du dieu」Julia Verlanger(神の障り,ジュリア・ヴェルランジェ,1960)★★★★☆
 ――六度目の熱期を迎えたが、わたしには神の障りがない。呪われたわたしはla Tribuから立ち去らなくてはならない。石を投げよ、と神官が人々に命じた。わたしは慌てて逃げ出した。どこに行こう? 川に沿って歩き続ければ、飢える心配はないが……。いつしか寒期が訪れ、目の前に伝説の都市が現れた――。優れた文明に驕ったために、神の怒りを買って滅ぼされたという伝説は本当だったのだ――。

 ジュリア・ヴェルランジェも『Le grandiose avenir』に続いての登場です。解説によると、著者自身はそれほど気に入っている作品ではないそうです。確かに本篇のアイデア自体はありきたりではありますが、英米SFのスタイルを自家薬籠中のものにしていて安定しているので好きな作家です。以下ネタバレになりますが、ポスト核戦争にバベルの塔の変奏をからめ、未開の民俗の因襲風に語り起こした作品です。核爆弾を「神の怒り」になぞらえるところや、放射能による畸形を「神の障り」と表現して健常者を呪われ人扱いするところまでは想像の範囲内でしたが、ひいては核を「神」そのものに見立て、その神の名が「Atom」というのが、第一集にルネ・バルジャヴェル「Béni soit l'atome」という作品もあったように、当時の風潮を伝えているようで興味深いものがありました。
 

「Le Visiteur」Marcel Buttin(訪問者,マルセル・バタン,1961)★★★☆☆
 ――まだ陽もあるし、訪問者の話を聞かせてやるよ。わしが若かったころの話さ。目の前に現れた――まさに「現れた」んだ。ドアも通らずにな。いや、精霊じゃない。精霊なら姿が見えないはずだ。天使でも悪魔でもない。天使に肉体はないはずだし、家には悪魔除けがあったからな。訪問者はわしら人間とは違った姿をしていたな。そして手に武器のようなものを持っていた……。

 マルセル・バタンも前集に続いての登場。今回の話はショート・ショートのような話です。訪問者が現生人類であろうことは容易に想像がつくのですが、では語り手は何者なのか――というところで、この時期のSFでお馴染みのポスト核戦争という真相でした。短い話なのに語り手のおじいちゃんが横道に逸れていて、その愚痴っぽさがいかにも話し好きのじーちゃんぽくてよかったです。
 

「L'Enfant né pour l'espace」Pierre Versins(宇宙のために生まれた子ども,ピエール・ヴェルサン,1960)★★★★☆
 ――あれは四半世紀前、57年のことだから、君は8歳で、僕は12歳だったね、Claude。君がいなくては、人々は今も地球に釘付けのままだっただろう。それに一匹の犬のおかげで? ロシアがスプートニクの打ち上げに成功し、ラジオからは軌道の話が聞こえていた。君は犬の運命に心を痛め、吠えていた。ライカが死ぬまで――。君が他人の痛みを取り込むことができることに気づいて、各国が手を伸ばして来たっけ。宇宙開発に後れを取っていたフランスは君を軟禁して能力を研究しようとした。各国は有人ロケット打ち上げに失敗していた。飛行士が受ける精神的な苦痛のことを知らなかったからだ。だが67年、フランス初の有人ロケットが打ち上げられた日。君は戻ってきた……。

 ピエール・ヴェルサンも前集「アルゴの人々」に続いての登場。日本に紹介されるSFはソ連アメリカが多かったので、必然的に宇宙開発という側面では進んでいるのが当然でした。だから本篇で描かれるような、二国に比べて宇宙開発に遅れているフランスという設定自体がSFとして新鮮に感じられました。また、アポロ以前の作品であるということもあり、打ち上げにともなうGなどの肉体的苦痛や精神的苦痛が人間が地球を離れる重大な障害になっている、という発想や、その導入としてライカの痛みを分かつあたりのセンスにはぐっと引き込まれます。後年になって友人が語りかけるスタイルも、宇宙へのロマンと友人の思い出が折り重なって効果的でした。
 

「L'Oéra de l'espace」Charles Dobzynski(宇宙のオペラ,シャルル・ドブジンスキー,1963)★★★★☆
 ――重力は巨大な母/生けるものを包む黒き子宮/人は夢想の繊維でそれにつかまり、/その胎内の壁にもたれる/足許の心地よさや/慣れに紡がれた柔らかさを理解もせずに。/……

 シャルル・ドブジンスキーは詩人であり、ここに収録されたのも詩集からの抜粋です。上に書き抜いたのは「無重力」という詩の冒頭。SF系のものかどうかはわかりませんが、邦訳詩集も出ているようです。
 

「Les Éphémères」Jacques Sternberg(かげろう,ジャック・ステルンベール,1962)★★★★☆
 ――我々はもうすぐ死ぬ。人はいつかは必ず死ぬ。だがそれが数時間後だとわかっているのは大きな違いだ。宇宙船はコントロールを失っていた。宇宙で死ぬか、地上で死ぬか――。我々は着陸を禁じられている星Drigeに不時着した。そこは一面きらきらと輝いていた――。水晶? いや、違う。水たまりの中からゆっくりとその星の住人が姿を現した。だがDrige人には我々の姿が見えないようだ。

 異なる時間が流れる宇宙というアイデアが用いられた作品です。カゲロウというからそういうタイプの宇宙人が登場するのかと思いきや、カゲロウなのは地球人の方だったという意外な事実が明らかにされます。冒頭で宇宙船の故障という致命的な事態が描かれ、さらに終盤ではリアルタイム浦島太郎状態であることが判明して、「儚い命」という趣向が二重に用いられているのもポイントです。こういうのを考えるのは苦手なのですが、時計は一分しか進まないし星の住人はゆっくり動いているということは、その宇宙の時間は一定で、機械である時計はその宇宙の時間に従っているが、人間の生命活動のサイクルだけが地球時間である、ということだと思います。
 

「La Vallée d'Avallon」Charles et Nathalie Henneberg(アヴァロンの谷,シャルル&ナタリー・アンヌベール,1960)★★★☆☆
 ――その星を覆っていたガスは恐らく生きている。当時の私は人工衛星の医師だった。あるとき、着陸した乗組員が全員死亡しており、口元には穏やかな微笑みが浮かび、目は灰色になっていた。生存者の話では、「声」が聞こえたというが……。ガスはとうとう地球にも到達し、被害が増え始めた。どうすれば――ガスの故郷の星には、酸素や暖かさや電気がないのがヒントだった。生存者が映写機を使っていのを思い出した。電気だ――。

 前集収録の「盲目のパイロット」はセイレーン型宇宙人(虫?)の話でしたが、なぜか本篇もセイレーン型の宇宙生物の話でした。ただしあちらは幻想小説風だったのに対して、本篇は気体型宇宙生物を退治するというSF風の話ではあります。セイレーンのように誘惑し、ガス状の生命体であるためさまざまな形状に変形できるという設定にあまり必然性がないように感じられましたが、最後の最後にそれが活かされていました。「神よ許したまえ。私はこの子を殺さなかった。
 

「Le Retour des cigognes」Michel Ehrwein(渡り鳥,ミシェル・エルヴァン,1961)★★★★☆
 ――冷たい風が吹いて来た。彼女は布を首まで引き上げた。彼女は一人だった。「ピエル……」「何だい、Hhâa?」「地球の仲間が恋しいの?」「いや」「だったら近くに来て。鳥を見たことある?」「鳥?」「Li山に彫刻をする鳥」「鳥が彫刻するわけがない。今は滅んだ文明の遺跡だろう」「信じないの?」と言い返されて、女でもない半魚人のくせに、とピエールは内心つぶやいた。

 姓の読み方がまったくわかりません。編者は解説で、ハーラン・エリスン『危険なビジョン』の名前を出して絶賛しています。絶賛されるほどの傑作かどうかはともかくとして、価値観の転倒を描いた作品であることは間違いありません。地球人であるピエールは、Hhâaのことを半魚人だと見下げ、鳥が彫刻するわけがないと言って信じようとしませんが、「彼女は『一人』だった」のです。
 

「La Planète aux sept masques」Gérard Klein(七つの仮面の星,ジェラール・クラン,1960)★★★★☆
 ――地球人のStelloは螺鈿の門をまたいだ。戦争も憎しみも苦しみもない世界がある――そう話に聞いて、七つの月の登る七つの門のある町を訪れたのだ。人影が現れた。真紅の仮面の中央には青い石が嵌っていた。「よければ町を案内して欲しいのですが?」「できない。私の仮面の色が見えないのか? そなたは青白い仮面をつけているな」「これは仮面ではありません」

 編者であるジェラール・クランお気に入りの自作の一つ。七種類の仮面を被る習慣を持つ異星人とのディスコミュニケーション――とくれば、ジャック・ヴァンス「月の蛾」(1961)を連想しますが、発表は本篇の方が先のようです。前集収録作も『天の声』を連想させたし、天然でSF体質の人なのでしょう。見渡すかぎりの砂漠、七色の月、七色の門、七つの母音を持つ言語、祭りの夜のダンス……見るからに地球とは異なる文化に加えて、住人たちは仮面をつけているため表情が窺えず、これだけでも不安を煽りますが、文化の違いのせいで会話すらままならないという状況がいっそうの不安を掻き立てます。それまで散々気を揉んでいたくせに、相手が女ではないかと感づいた途端に、宇宙の永遠の美女を夢見るところがなんだか笑っちゃいますが、これがあるからこそ、最後のシーンもおぞましくはなく幻想的に感じられるのかもしれません。
 

「Jeux de vestales」Stefan Wul(神々の遊び,ステファン・ウル,1960)★★★☆☆
 ――不時着した惑星で水を求めて彷徨うDamienとCyril。暗闇のなか手探りで進んでゆくと、誰かの手に触れ、少女のような笑い声が聞こえたが、姿は見えない。そのまますり鉢状の坂を下りてゆくと、巨大な円型湖があった。その夜は水を飲んで眠り、翌朝目を覚まして周囲を調べると、竜のような石があり……。やがて人間たちが現れ、湖から竜が現れ、Cyrilは自分の姿が見えなくなっていることに気づいた――。

 いくつかの作品がアニメ映画化されているステファン・ウルなので期待したのですが、これは上記のあらすじそのままの作品で、これといって面白いところはありませんでした。
 

「Les Gémeaux」Michel Calonne(双子の星,ミシェル・カロンヌ,1958)★★★★☆
 ――OlssonはMainauを呼んだ。「試作機に乗るつもりは?」「お願いします」上階は社交場、下階は使用人部屋だった。叛乱を起こしたのはLouis Hardenだった。Pierre Germainは廃墟となっていた上階で子どもを見つけ、支配者となった。死後、女たちが力をつけた。SimonがHoratioとHeermia兄妹を呼んで、息を引き取った。「もうすぐだ……」幼い兄妹は着陸の準備を進めた。

 地球を発ち、星を目指す世代間宇宙船で起こるさまざまなエピソード。とうとうたった二人だけになってしまった乗組員の生き残りが、157年かけてたどり着いた新天地は……。出発直後に新発明があって数か月で宇宙旅行ができるようになったため、地球の人々がすでに新天地で宇宙船の到着を待っていた――という笑えないハッピーエンドが待ち受けていました。最後はともかくとして、一つの共同体の終焉までが凝縮されて描かれた年代記です。
 

「En un autre pays」Claude Veillot(別世界へ,クロード・ヴェイヨ,1964)★★★★☆
 ――狩人のRobはジャングルで侵入者を見張っていた。あいつらは死人の国の方からやって来たが、ゾンビではない。ゾンビなら言葉をしゃべらない。ガサッ。Robは鼠に襲われたところを、侵入者たちに救われた。「お前は人間か? Bons Mémoiresによれば、世界は滅んだはずだ。だが神官もその内容は忘れてしまった。我々は世界の果てを再び見出しに行くのだ」Timoと名乗った侵入者は言った。「世界は丸い。進んでも元の場所に戻るだけだ」とRobは言ったが、好奇心に駆られて行動を共にした。やがて遭遇した人々は、滅びたはずのMerlock語をしゃべっていた。別の世界は本当にあったのだ……。

 滅亡した文明と原始化した未来人、という本書&前作でもお馴染みのパターンの作品ですが、それを単にオチ的に利用しているだけではないところが、ほかの作品とは違うところです。例えば未来人といっても、文明人の遺産を受け継いでいるFlank人と遭遇した「未開人」Robの視点という、二重の視点が取られている点。過去の文明人が遺したロボットを、生ける死者・ゾンビという伝説上の怪物として描いている点。そうしたなかで真実を目指し飽くなき探求を続けるTimoの姿には、ジュール・ヴェルヌの探検行のようなロマンさえ感じられました。彼らが世界だと思っていたものが大きな建造物「船」の内部でしかなかったところまでは予想の範疇でしたが、その船が宇宙船であり、Timoたちが探していた「失われた目的」とは、ポスト核戦争を逃れてシリウスへと旅立つことだった――というのにはロマンがありました。何世代もかけて科学力を取り戻そうと決意するところで物語は幕を閉じます。
 

「L'Homme de l'été」Michel Demuth(夏の人,ミシェル・デムート,1963)★★★★☆
 ――夏の初め。Kbrekの群れがSthine国に移動を始めた。婿のDunkが見張りから帰ってきた。途中で発見した箱を持ち帰ったが、それを見てGrand-Pèreは不機嫌になった。その夜、夢を見た。遠い昔にGrand-Pèreの始祖は、新天地に宇宙船を下ろし、法典を作ったのだった……。翌日、DunkがKbrekの群れを見張りに行くと、様子がおかしい。どうやら箱に原因があるらしいのだが……。Grand Pèreの見た夢と合わせて、箱は宇宙船のエンジンであり、エネルギーを放出しているらしいと見当をつける。やがて一人の男が訪れて……。

 前集に「Yerkovの帰還」が収録されていたミシェル・デムートの作品です。プラチナ・ファンタジイで出ているジェフ・ライマンやイアン・R・マクラウドの田園SFを思わせるようなたたずまいの作品でした。そこに住む人にはそこに住む人なりの矜恃があるのでした。

  


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