『火葬人』ラジスラフ・フクス/阿部賢一訳(松籟社 東欧の想像力9)★★★★★

 『Spalovač mrtvol』Ladislav Fuks,1967年。

 「十七年前にわたしたちが出会ったのもここだったね」動物園の豹の檻の前で、カレル(ロマン)・コップフルキングル氏は、妻のラクメーに声をかけた。あれからまったく変わっていない。もちろんあのときの豹は天に召されたろうけれど。娘のジナは十六歳、息子のミリは十四歳だ。火葬場で働くコップフルキングル氏は、シュトラウス氏に声をかけて火葬希望者を募っていた。子どもたちに何かと手のかかるこの時期、副収入が欲しかったし、シュトラウスさんの力になってやりたかった。きっといい商人になってくれる。名前からするとユダヤ人なのだから――。友人のヴィリはズデーテン・ドイツ党に加入していて、ヒトラーチェコを救ってくれると信じ、ドイツ系の者は団結すべきだとコップフルキングル氏にも持ちかけている。やがてズデーテンはドイツ軍に占領されたが、コップフルキングル氏の自宅は煌々と輝いていた。なぜヒトラーユダヤ人を迫害するのか。ようやくわかった。ユダヤ人がドイツ人に敵対しているからだ。

 家族を大事にしている平凡な父親が、ナチス侵攻とともに、かけがえのないものに手にかけてしまいます。当時のチェコがどうだったのかはわかりませんが、少なくとも日本人には他人事ではない怖さがある、と感じました。特に思想があるわけでもない、むしろ人の良い人物が、何がきっかけかもわからないままに変わってしまう――というのは、ヨーロッパよりもむしろ日本的です。

 さりげなく冒頭に置かれた夫婦の思い出の場面。この場面があるからこそ、189ページの出来事には、十七年間(そして十九年間)という重みが読者の頭上にものしかかり、頭が真っ白になってしまいました。

 145ページ、ユダヤ人のためだとヴィリにそそのかされるままに乞食のかっこうをして、娘に言われて結婚指輪をはずす場面は象徴的です。このときのコップフルキングル氏は、ナチスも、家族も、両方とも取ることができました。何の違和感もなく。

 一市民はこんなにも簡単に歴史に翻弄されてしまうようです。

  [楽天] 


防犯カメラ