『幽剣抄』菊地秀行(角川文庫)★★★☆☆

「影女房」★★★★☆
 ――偏屈で通っている久馬のところに、女が通っているらしい。大堀進之介が久馬を訪れると、女の気配はあるのに姿はない。大堀は一計を案じて夜に訪れてみれば、女というのは辻斬りにあった織物問屋の娘。久馬の剣の腕を見込んで、仇を討ってくれまいか、というのであった。

 幽霊が現れて仇討を頼むところまではまさしく幽霊譚そのものなのですが、生身の人間のように甲斐甲斐しく世話を焼く、姑といがみ合う、身を任せる……ひねりがないはずの展開なのに幽霊が相手だというだけで却って新鮮で面白かったです。伝奇小説で培われたアクション描写による居合いもかっこいいです。
 

「茂助に関わる談合」★★★★☆
 ――甚左衛門の家へ甥の喜三郎がやって来たのは、十月半ばの深更であった。「こんな時刻にどうした」返事は奇妙なものであった。半月ほど前に世話した若党の茂助は、何処から雇い入れたのかと喜三郎は訊き、「あれは、人間《ひと》ではござらん」と告げた。甚左衛門がよくわからんという顔をしたが、しばらくするとまたも下男が来訪者を告げた。

 「語らない」タイプの怪は、思わせぶりが見え透いただけで終わってしまう場合も多いのですが、これは怖い。一人また一人と増えてゆく恐ろしさは、半村良「箪笥」なども連想させますが、見知っているはずの者がまったく変わってしまうのは、むしろフィニイやディックなどのSF的な恐怖に通ずるかもしれません。
 

「這いずり」★★★★☆
 ――勘定方を勤める地次源兵衛ほどの偏屈はあるまい。偏屈で嫌われていたため讒言も多かった。すぐに討手がかけられたが、源兵衛は床に臥せった状態から、討手の足を薙ぎ払いに切り落とした。それでもついに深手を負った源兵衛だったが、掻き消えたように消えてしまった……後日、空家に忍び込んだ者たちが足首を切られた状態で発見される事件が相次いだ。

 これもまたアクション描写と恐怖が素晴らしい作品でした。単純にビジュアル的な怖さに加えて、低い位置からの平面的な攻撃という防ぎようのない恐怖が、「なぜ」「どのように」怖いのかが、きっちりと伝わってきます。化物なりの約束事に縛られているという「希望」を発見した直後に描かれる、討手のパニックという絶望感には胸がむかむかしさえしました。人生訓めいたラストだけが余計でした。
 

「千鳥足」★★★☆☆
 ――盛り場でかなりきこしめした武士たちが千鳥足になって足を滑らせたために「千鳥ヶ淵」と名づけられていた。居合の名手として名高い大辻玄三郎が引っぱり出されたのは、その千鳥ヶ淵で不可解な水死が相次いだからであった。とはいえ戦国の世に討ち取られた武士が今ごろになって祟るというのも解せない。

 ここに出てくるのはもはや恨みを抱いた幽霊などではなく、子抱かせ妖怪のような、一定のルールに従って人を取り殺す妖怪めいた憑物でした。その出現の仕方がかなり恐ろしく、文章でもこれだけ怖いのだから、ヴィジュアルで見たとしたら重い云々よりもそのショックだけで腰を抜かしてしまいそうです。
 

「帰ってきた十三郎」★★★☆☆
 ――良介のもとへ、この冬義姉になる世津がやってきた。「人を斬っていただきたいのです」相手はかつて思いを寄せていた男だという。江戸で剣術を磨くと言い遺して三年前に国を出た進藤十三郎が、今ごろになって戻ってきた。世津の手首を握ったその手は死人のように冷たかった。

 思いを残したという話にはすでに「這いずり」という強烈な作品があるため、やや二番煎じな印象を受けます。
 

「子預け」★★★☆☆
 ――城から戻ると妻の機嫌が悪かった。武士の妻女としか思えない女が赤子を抱いて訪れ、「この子は、ご主人さまの御子でございます」と一方的に押し付けて去ったらしい。その日から悪夢が続き、夜中に悲鳴を上げて跳び起きるようになった。

 托卵するホトトギスのように、人間ならざる子を預けるモノの登場する、SFめいたショートショート
 

「似たもの同士」★★★☆☆
 ――陣吾の髭面を見ただけでやくざ者など逃げ出してしまうが、浅見という武士は陣吾の腕を見抜いていた。「人をひとり斬ってほしいのだ」呼ばれて行った先には、浅見の妻・早苗と囲い者の女・おしぎがいた。浅見には愛するものを斬ってしまう性癖があり、浅見に斬られることこそ愛の証だと、女二人は浅見に斬られようとするのだった。

 二重人格の話ですが、浮気した妻・早苗を斬って逃げていた陣吾の姿がそこに重なり、さながら三重写しになったように事実が混濁してゆきます。
 

「稽古相手」★★☆☆☆
 ――主人のことでございますか。出府して二日とたたぬ主人が、見ず知らずの他藩の方といきなり斬り合いをはじめ、ふたりとも死んでしまいました。道場の師範さえかなわぬ腕でございましたため、稽古はいつも一人でしておりましたが、いつのころからか、来い、とか、まだまだ、とかいう声が聞こえるようになったのです。

 強すぎるがゆえの孤独が生み出した、生霊同士の交流。ギャグすれすれです。
 

「宿場の武士」★★☆☆☆
 ――水森大助はその武士が剣をふるっているのを見て「素晴らしい」と口にしていた。だが武士の正体を知りたいという大助に、旅籠のお里は「それは言えません」と答えた。「あのお侍さんは人ではありません。もう四十年もここに通っているそうです」侍はどう見ても三十代はじめだ。

 スケールは大きい。が似たようなのが続きます。「何か」と戦い続ける神話か何かの登場人物のような武士には、しかし義務感などはなく、ただただ己の剣技のためだけなのでした。

  


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