『The Bird's Nest』Shirley Jackson,1954。
2016年に『日時計』『処刑人(絞首人)』と立て続けに未訳長篇が翻訳されたジャクスンの、これまた未訳だった長篇作品とあって読む前から否が応でも期待は高まりますが、期待に違わず一行目から面白い。
「博物館は厖大な知識の宝庫として知られていたものの、その土台がかしぎはじめていた」
なるほど不吉な行く先を暗示するような表現の書き出し……と思いきや、譬喩ではなく本当に傾いているということが次の文章でわかります。『日時計』にも見られたジャクスンの笑いのセンスがすでに溢れていました。
叔母に支配されて暮らす愚鈍なエリザベスのなかに、朗らかなベスと悪意のかたまりのようなベッツィという第二第三の人格が現れて日常が破壊されてゆく……次第に高まってゆく緊迫感こそ張り詰めてゆくものの、ここまでならよくあるホラーと言えます。
けれどここから思いがけない展開を見せます。エリザベスの実年齢は二十三歳ですが、支配的な人格であるベッツィはかなり子どもっぽく、ものを知らないせいで突拍子もない言動をするのはともかくとして、自分の空想を信じてしまう幼い子どものようなところが残っていました。すでに死んでしまった母親を追い求めその恋人の影から逃れようとする姿は、多重人格とはまた違った意味合いで異様な雰囲気を帯びていました。
やがてベッツィの支配の及ばないベティという第四の人格まで登場し、叔母さえヒステリーなのか多重人格なのかといった態度を見せるに及び、どう収拾がつくのかもはやまったくわからない状況に至りました。
一応のところは“現実と向き合う”という常識的な形で事態は収まるものの、最後に姿を見せる「彼女」は、恐らくは読者に色眼鏡で見られないようにするためか、何の個性もないように描かれていて、そのため中身が空っぽのように見えてしまいます。実際、医師からも「空っぽの器を満たす」という表現を使われ、「新しい人間を丸ごと創造しなおす」とまで言われてしまっています。これは果たしてハッピーエンドなのか――どう考えてもそうではなく、さりとて明らかなバッドエンドでもない、不穏な余韻を残す結末でした。
エリザベス・リッチモンドは内気でおとなしい23歳、友もなく親もなく、博物館での退屈な仕事を日々こなしながら、偏屈で口うるさい叔母と暮らしていた。ある日、止まらない頭痛と奇妙な行動に悩んだすえ医師の元を訪れる。診療の結果、原因はなんとエリザベスの内にある、彼女の多重人格だった。ベス、ベッツィ、ベティと名付けられた別人格たちは徐々に自己主張をし始め、エリザベスの存在を揺るがしていく……〈孤高の異色作家〉ジャクスンの、研ぎ澄まされた精緻な描写が静かに炸裂する、黒い笑いに満ちた傑作長篇がついに登場!(カバー袖あらすじ)
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