『文豪妖怪名作選』東雅夫編(創元推理文庫)★★★☆☆

『文豪妖怪名作選』東雅夫編(創元推理文庫

 『Masterpiece Yokai Stories By Great Authors』2017年。

 特殊なテーマ上しかたないのかもしれませんが、既に絶版とはいえ同じ編者の『妖怪文藝』と重複している作品が多すぎるのが気にかかります。
 

「鬼桃太郎」尾崎紅葉(1891)★★★☆☆
 ――桃太郎に門扉を打摧かれし鬼ヶ島の城門の衛司夫婦、夜叉神に禱りて水際に行けば、大きなる苦桃浮来りて、中から五尺の青鬼生まれぬ。苦桃太郎と名乗らせぬ。雉子猿犬の三郎党に倣いて毒龍、大狒、狼を従えて日本を目指しぬ。

 小学館文庫『妖怪文藝 巻之弐』にも収録。読んでいるはずですがすっかり忘れていました。挿絵だけでなくレイアウトも黄表紙風なので、恐らく原典も同じレイアウトなのでしょう。桃太郎のパロディ続編です。犬猿に対し狒狒狼というのと比べ、雉子に対して龍というのは随分とスケールアップしていますが、なるほどスケールが大きすぎて失敗してしまったようです。
 

天守物語」泉鏡花(1917)★★★★★
 ――天守夫人、富姫「ああ、鷹狩が帰って来た」。亀姫「白い翼のいい鷹を持っているよ」。夫人「あの鷹を取って上げましょうね」。舞台片隅より雪洞現れる。夫人「誰」。図書之助「当城の大守に仕うる、武士の一人でございます。大殿様御秘蔵の日本一の鷹がそれまして、行方を求めよとの御意でございます」。夫人「翼あるものは勝手な処へ飛ぶ、とお言いなさるが可い」。図書、退座するが大入道に雪洞を消され、やむなく天守に戻る。

 言わずと知れた鏡花の代表作。同じく代表作『夜叉ヶ池』の名も見えます。獅子頭の目を潰されると妖怪たちの目が見えなくなり、彫り直されることで再び目が見えるようになるという表現が秀逸です。初めて読んだときは工人・桃六の登場が唐突でそれを欠点に感じたものですが、岩波文庫澁澤龍彦の解説で、確かデウス・エクス・マキーナと書かれているのを読んで納得した覚えがあります。
 

「獅子舞考」柳田國男(1916)★★★☆☆
 ――唐獅子の身体が三つに裂けたのを三国三処に分取したと云う話は、弘く行われて居る。さて立戻って獅子舞の由来を説いて見よう。本来は西域亀茲国の伎楽を輸入したもので、神社の前面に獅子狛犬を置く風が、獅子舞の普及を致した原因だと云う。自分が獅子舞のシシは天竺の獅子ではないと最初に心付いたのは、或地方の獅子舞に用いるシシ頭には鹿同然の角のあることである。

 白い鬣ふうのものもあるし、今まで何の疑問もなくあれは獅子だと思っていましたが、そりゃライオンはおかしいですよね。なぜ獅子の頭を運んだかの結論は平凡なものですが、さまざまな伝承がコンパクトにまとめられているのはやはり貴重だし得した気分です。
 

「ざしき童子のはなし」宮澤賢治(1926)★★★☆☆
 ――ぼくらの方の、ざしき童子のはなしです。ひるま、みんながはたらきに出て、こどもがふたり、庭であそんで居りました。そこらはしんとしています。ところがざしきでざわっざわっと箒の音がしたのです。のぞいてみましたが、たれも居ません。こんなのがざしき童子です。

 これも有名な作品です。語り聞かせているような、怖いとも怖くないとも言い切れない懐かしい文体が魅力です。
 

「ムジナ」小泉八雲円城塔(Mujina,Lafcadio Hearn,1904)★★☆☆☆
 ――キイ・ノ・クニ・ザカにはよくムジナが出た。ある晩遅くに商人が急いでいると、堀の傍らで婦人がしゃがみ込み、激しく泣いている。「オ・ジョチュー」と彼は声をかけて近づき、「どうなさいました」……するとオ・ジョチューは振り返り……。

 『幽』に連載していたハーン直訳シリーズより。
 

「貉」芥川龍之介(1917)★★★★☆
 ――書紀によると日本では推古天皇の三十五年春二月、陸奥で始めて、貉が人に化けた。勿論貉は昔から日本に住んでいた。恐らくこんな事から始まったのであろう。――その頃、陸奥の娘が同じ村の男と恋をした。母親の目を忍んで夜な夜な逢おうと云うのだから一通りな心づかいではない。男が待っている間のさびしさをまぎらせるつもりで唄を歌った。それを聞いた母親は、あの声は何じゃと云った。貉かも知れぬと答えたのは娘の機転である。

 貉が人を化かすようになった由来譚です。怪異の存在をやみくもに否定するのではなく、そうした状況を踏まえたうえでひっくるめて受容するところに、真に近代的知性を感じます。突然イェイツを引き合いに出してくるところが芥川らしくて可笑しい。
 

「狢」瀧井孝作(1924)★★★☆☆
 ――芥川龍之介君に「貉」と云う短篇小説がある。一昨年、飛騨日報という日刊新聞が郷里から届き、面白い記事が出ていると芥川君の前で私は話材にした。ひとり暮しの婆さまの家に、遅くなってから毎晩泊のゆく者がある。始は村の衆だろうと思っていたが、腑に落ちない処があるので体を探ると毛深い或は狢じゃあ、ないかと思うが、若い衆に一遍見に来て貰えまいか。

 新聞に書いてあるから芥川の書いていることは噓だ!というのが無邪気で可笑しい。本気で言っているわけではなくジョークなのでしょうが、二人の交遊が偲ばれます。
 

「最後の狐狸」檀一雄(1949)★★★☆☆
 ――私は幽霊を見たためしがないが、狐狸は満更覚えがないわけでもない。私の村にもたしかに三人は憑かれたいたようである。一人は狐、一人は鶏、一人は鰻であるから驚いた。踊りの師匠である吉つぁんは、この憑き具合を踊りの所作のように懇切に見せてくれた。大工の謙ちゃんの弟は、憑かれないといいものが出来ないらしい。「ケ、ケ、ケーンち言いまっすると、出来上りまっするげなたんも」

 鰻憑きというのが馬鹿らしくて笑えます。後半は大陸に嫁を連れていくといういかにも無頼派らしいエピソードあり、最後には列車で見かけた謎めいた少女と妹の不思議な言葉という正真正銘の怪談風のエピソードもあるのですが、佐藤春夫が親父ギャグで吹き飛ばしてしまいました。
 

「山姫」日影丈吉(1989)★★★★☆
 ――青表紙の地誌を読むと、奇妙なことが書いてあった。小法師大権現の神官の家には代々娘を一人巫女にするという。年頃になると一匹のヤマイヌがあらわれ、生涯彼女の護衛につくという。ある年の巫女が父なし子を生んだ。生まれた子供は異常に耳が大きく、大きな歯が生えた。現在の小法師神社は宿泊施設も持っていて、泊まり客の画学生によると、神官の家族はみんな気のいい人たちだが、巫女の娘だけがすこし違っているという。「こわい子供です」

 犬のような毛色と瞳の色を、白人と結びつける擬似民俗学っぽい発想が面白く、これも「狢」「最後の狐狸」のような田舎の不思議譚くらいに思っていると、不意打ちを食らいました。たぶん怪異は起こっていないのでしょう。それこそ狐憑きや精神疾患なのだと思います。こうしたアンソロジーで読むとエッセイなのか小説なのかわからないで読めるので、新鮮な気持ちで読めました。
 

「屋上の怪音 赤い木の実を頬張って」徳田秋聲(1932)★★★★☆
 ――私の家のすぐ裏に、十七八の余り頭のよくない男の子がいた。これが夕方御飯を食べてから、十時頃になっても帰って来ない。その内に屋根の上で凄い音がしたので、ソレ天狗だと皆んな青くなったものだ。兄が近所の男と二人で屋根へ上って見に行った。ところが屋根の上に探していた息子が赤い木の実をほおばって、「天狗の伯父さんに御馳走になっておいしかった。又行くんだ」と云って降りると言わない。正気に返るまで時間がかかったことを覚えている。

 金沢出身の著者の実体験です。これも実際には何でもないことかもしれないのですが、やはり伝承がある地域だと、伝承に引き寄せられて解釈されるロマンがあります。
 

「天狗」室生犀星(1922)★★★★☆
 ――城下の北はずれに赤星重右という剣客が住んでいた。ふしぎなことに、かれが通り合せると、彼の不機嫌なときには、きまって向脛を切られた。何かしら憑きものがあるような、どこか人間離れしたところがあった。どうにかして他の藩に追い遣るか、召抱えるかしなければならなかった。やがて黒壁という山頂に地所をあたえるという名義で、封じることに決議された。黒壁の権現堂で白鼠を見たものは病気がなおると云われていて、姿を見せない重右は却って天狗か何かのように敬われた。

 これも小学館文庫『妖怪文藝 巻之参』、及びちくま文庫『文豪怪談傑作選 室生犀星集 童子』に収録されています。結局は最後に語り手たちによって近代的解釈がつけられるのですが、額縁内の部分が時代小説風に語られている点で、本書収録の他作品とは趣を異にしています。はじめからフィクションであり読者との距離は遠いのだから、ことさらに額縁を足されても蛇足でしかありません。犀星にしては文章が読みやすい。
 

「一反木綿」椋鳩十(?)★★☆☆☆
 ――享保年間のことである。宇都宮重信は、所用あっての帰りみちであった。人間らしいものが横たわってうめいている。「どうなされた」。十八、九の美しい娘であった。「おお、苦しい、お助け下さりませ」。娘が気絶してしまったので、谷間の水を口にふくんで娘に飲ませた。と、あたりがにわかに暗くなり、ヒッヒッヒという笑い声とともに、闇の中に、一反木綿がぶら下がった。「さては妖怪め!」。重信は示現流の早業で切りつけた。

 これも『妖怪文藝 巻之弐』に収録。魔除けに股間を見せるというのは実際の伝承にあるので艶笑譚とも言いかねるものの、シモの話ばかりではあります。よくある剛勇譚に一反木綿を接ぎ木したものですが、一反木綿である必然性はまったくありません。
 

「件」内田百閒(1921)
 

「からかさ神」小田仁二郎(1953)★★☆☆☆
 ――からかさは、だいぶ、とうがたち、自分でもえらがりだしていた。風がどっと吹きよせ、からかさはかさをひろげ、ゆうゆうと飛んでいた。「人間なんてばかな奴らだ。おれが飛べるというのに、わざわざ肩にかついでやがる」。夜があけると風がなぎ、山奥の里に落下した。からかさを見たこともない村人はきもをつぶした。「生きものじゃろうか」「鳥かのう」。生半可な物知り男が骨の数を数えて、伊勢内宮の御神体だと言い出した。

 これも『妖怪文藝 巻之壱』に収録。『西鶴諸国ばなし』「傘の御託宣」を元にした艶笑譚ですが、これも編者によれば唐傘小僧がフィクションに描かれることは少ないということから再録されたのでしょう。
 

「邪恋」火野葦平(1955)★★★★☆
 ――玉章は自分の美しさがうらめしかった。いっそ死んでしまいたいが、死ぬことによって一門を没落させるおそれがあった。話は三年ほど前にさかのぼる。春日大明神が奈良に遷座することが決まると、責任者である兵部大輔は人件費を削るため、匠道の秘法を用いて人間の形にこさえた木材に魂をふきこんだ。兵子部と名づけて使役したが、完成すれば用済みだった。捨てられた兵子部たち三万人は生き延びるため九州の河童たちに侵略戦争を仕掛けた。そのとき美しく勇敢な玉章に一目惚れした兵子部から求婚され、復讐のため地元の河童と政略結婚させたがっている父親との板挟みになっていたのである。

 河童大戦争。ヒョウスベが兵部大輔に作られたという伝承をもとに、それなら元から住んでいた河童と衝突したはずだという発想が非凡な怪作です。
 

「山妖海異」佐藤春夫(1956)★★★☆☆
 ――熊野という場所は海と山との距離が近い。こういう場所では古の風を失わないものである。カンカラコボシ(河原小法師)というのはカッパを云う方言であり、ここでは時に人間の手助けををするという。

 これも『妖怪文藝 巻之参』に収録されています。河童をはじめとしてタイトル通りに山の怪と海の怪が紹介されているだけなのですが、よくある紹介文にあるような無味乾燥な文章でないのはさすが文豪というべきでしょう。
 

「荒譚」稲垣足穂(1949)★★☆☆☆
 ――日本のおばけは、いったいにじめじめしている。たまに面白いものがあるが、そこにくッつけられた余計な説明のせいで本来の素朴性を害されている。「稲生夜話」という記録がある。人々は平太郎からきかされて、山ン本とは何者であろうかと評議した。なぜ神通力とか妙薬とかを教えてもらわなかったのか? 平太郎が失念していたのだから仕方がない。山ン本さん、気が向いたらまたおいで。ごきげんよう

 これも『妖怪文藝 巻之壱』に収録。『稲生物怪録』と、足穂が少年時代に出会った「灰屋のおッさん」という名物おじさんの話の二本立てです。『稲生物怪録』をなぞりながらも、どこまでも足穂印の結びが印象的です。
 

「兵六夢物語」獅子文六(1942)★★☆☆☆
 ――「吉野実方のあたりに出るちゅうバケモンな退治したらどげんごあすか」という提案に、大石兵六、カンラカンラと打ち笑い、「徒党を組むは天下のご法度、それがし一手に引き受けたり」。坂の下へさしかかった時、鬼火とともに舞い出た異形の姿、「われ茨木童子の亡念なり」といった力の恐ろしいこと。兵六、たちまち平伏した。兵六、危うく逃げ延びたが天狗、抜け首らに翻弄された。

 一応は実話という体裁の『稲生物怪録』とは違い、こちらは鹿児島の武士が書いた純然たるフィクションのようです。主人公が大石内蔵助の子孫という設定からしてパロディ色が強く、お調子者の失敗譚となっています。
 

「化物の進化」寺田寅彦(1929)★★☆☆☆
 ――人間文化の進歩の道程において発明された作品の中でも「化物」などは最も優れた傑作と云わなければなるまい。昔の人は自然界の不可解な現象を化物の所業として説明した。昔の化物は昔の人にはちゃんとした事実であった。一世紀以前の科学者に事実であった事柄が今では事実でなくなった例はいくらもある。例えば「鎌鼬」と称する化物の事である。

 さすがに見た目や名前が似ているから繋がりがあるというのには時代を感じますが、鎌鼬真空説がこんな昔に否定されていたことに驚きました。

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