『幻の「長くつ下のピッピ」』高畑勲×宮崎駿×小田部羊一(岩波書店)
高畑勲は1968年の映画『太陽の王子 ホルスの大冒険』の制作が遅れ興行的にも失敗したことで、東映動画での将来が絶たれてしまいます。しかし1971年、東京ムービーの制作会社Aプロダクションから、当時東映動画に勤めていた高畑勲、宮崎駿、小田部羊一の三人に声がかかります。リンドグレーン『長くつ下のピッピ』のテレビアニメ化の企画でした。
三人は東映動画を辞めてAプロダクションに移り、原作者に会いに行く東京ムービー社長とともに、宮崎駿がロケハンのため同行します。そうして動き出していたアニメ版『ピッピ』でしたが、原作者の許可が下りず、企画は立ち消えになってしまいました。
本書はそんな当時の宮崎駿による「イメージボード」「ストーリーボード」、小田部羊一による「キャラクター・デザイン」「セル画」、高畑勲による「覚え書き」「字コンテ」、そして2014年現在の三人へのインタビューから構成されています。
本書をひもとくとまず何よりも彼らの熱意に驚きます。原作者の許可を取っていない段階でどうしてこれだけのイメージやデザインが出来ているのか。特に宮崎駿が(いい意味で)おかしいです。この段階で町や家の全体図や、アニメオリジナルのエピソードまで描かれているのだから驚きです。つねに頭のなかでアニメのことを考えているのでしょう。記憶だけで描いてしまうというのも凄い。
原作者から許可が下りなかったのは残念ですが、『アルプスの少女ハイジ』が74年、『未来少年コナン』が78年、『赤毛のアン』が79年。まだアニメーションで名作ドラマを作ることができるという発想自体が世間には皆無だったのでしょう。
というのもインタビューで印象的だったのは、児童文学を原作にした『ムーミン』(69年)が「刮目すべきことでした」と書かれていることで、当時のアニメ関係者にとって『ムーミン』とはそういう存在だったのでしょう。
この頃に試行錯誤していたことが『かぐや姫の物語』(2013年)で結実するというのも感動しました。馬を持ち上げてしまうというのは非現実的ですが、それもエブリデイマジックの一種として捉えられる柔軟さは羨ましい。
また、「のび太を甘やかしている」というのはよくある『ドラえもん』批判ですが、「(エヴリデイマジックによって)子どもを夢中にさせ、まず子どもたちの心を解放してやろう」という見方にも目を開かされました。もっとも高畑自身、「ただ子どもを甘やかしているだけの作品がどんどん増えていったのではないか」とも話していますが、『ムーミン』にしても『ドラえもん』にしても当時を生きていた人ならではの貴重な感想だと感じました。
小田部氏が高畑氏に言われたという、ぶかぶかの靴なら脱げてしまうのではないか、ピッピの性格なら車道と歩道の境目を歩くんじゃないか、という指摘で、高畑氏の凄さを実感します。宮崎氏もそうでしたが、企画成立前の段階でそんな細かいところまですでに考えられているというのが恐ろしい。『赤毛のアン』第一話でアンが迎えが来るまで「線路の上をとととと歩いたり」するシーンによって「原作に描かれていない姿を使って人物を浮かび上がらせる」ことをしながら、「けっして原作と人物の解釈を変えたいと思っていたわけじゃありません」とにあるように、みんな天才は天才なんだけれど、当たり前ですが技術的な裏打ちがあってこそなんですよね。
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