28「浪の音に宇治の里人よるさへや寝てもあやふき夢のうきはし」
意外なことに文法的な説明もしてくれるのがありがたい。「『よるさへや』は寄るさへ、夜さへと二つの意味を持ち、寄るは里人に、かつは初句の浪にもかすかに關る」。なるほどなあ。浪に「かすかに」かかるからこそ、ほんとうに遠くでかすかに聞こえるような、あるかなしかの波の音。そのおかげでよりいっそう「あやふき夢のうきはし」という言葉から、夢うつつの瞬間がふっと途切れるような細く脆いイメージが浮かんでくる。
29「あかざりしかすみの衣たちこめて袖のなかなる花のおもかげ」
30「さくら色の庭のはる風あともなし訪はばぞ人の雪とだに見む」
「ことわりのみを言へば、上句を落花を伴つて吹いてゐた風と解するなら、下句の客が雪と見るべき殘花もないはず」などと意地が悪い。「そのやうな意味上の甲論乙駁を離れて一首は華麗であり、しかもさはやかなひびきに滿ちてゐる」。「『訪はばぞ』『だに見む』の濁音澁滯感は、上句の輕やかさを支へながらもやはりうるさい」。などなど、言うことがいちいち的確なのである。
31「久方のなかなる川のうかひ舟いかにちぎりてやみを待つらむ」
久方→月→桂→桂川→鵜飼→鵜川は闇にかぎるという「故事と風習を鍵として」という解説ももちろん重要なのだが、それよりも特筆すべきは誤読をも発想の飛躍で補えばよしとする姿勢である。伝記的事実ではなく歌そのものと向き合おうとする塚本の姿勢がこんなところにも見えている。
32「ひとりぬる山鳥の尾のしだり尾に霜おきまよふ床のつきかげ」
これは教養のないわたしにさえも本歌がわかる本歌取り。しかもかっこいい……。「ながながし夜」を導くためにあれだけ言葉を費やした人麻呂の本歌があるからこそ、ここで唐突に「山鳥の尾のしだり尾」が出てこられる。歌そのものだけじゃなく、本歌取りの仕方がかっこいいのだ。単に引用とかモチーフとかではなく、歌を血にしている。わたしは「ひとりぬる」のは床の主だと何の迷いもなく思っていたのだが、まずは山鳥、そして同時に床の主であるらしい(^ ^ ;。そうか。そうだよな。
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